直木賞を受賞した森田誠吾(本名 堀野誠吾)君が先月亡くなった。 私は堀野君とは中学と大学予科で共に学んだ仲間でまさに70年間の付き合いがあった。 中学時代は1年から5年まで組替えが無く、クラスが異なったので余り付き合う機会も無く過ごしたが、そこは5年間同じ学校に通った間に見聞きした所では、彼は銀座の生まれでダンデイな悠揚迫らぬ風に見える一方細やかな気遣いを見せる面もあり、そして型にはまらぬ奔放さも持ち合わせている所が目についた。 一橋の予科では同じ組になったので付き合いがあったがダンデイさは失わず、どうせ軍隊に行くなら陸軍のカーキ色の軍服は嫌だとネービーブルーに憧れ予備生徒を志願して海軍に入った。 戦後、彼は期するところがあったのであろう、学校には戻らず銀座で家業を継ぎながら演劇の世界に飛び込み、久保栄に師事し劇団に入門した。予科時代のクラスメートも海外に出たり、転勤で東京から離れたりして余りクラスの会合を持つ機会もなく過ごしたが昭和61年に堀野君が小説「魚河岸もにがたり」で直木賞を受賞したことを知り、予科時代の仲間でささやかなお祝い会を催した。そのときクラスメートに対し著書にサインをしてくれた。(写真 ) 「淡如水」とは如水会の名前の元となった「君子の交わりは淡きこと水の如し」から来ているが、単に「淡如水」と書かれたのを見てみると森羅万象総てに当てはまるようで、彼の深層にこの言葉が根付いていたのかも知れぬと考えさせられた次第である。。その後は時々彼もクラス会にも出席してくれて、その度にそれまでに出版した著書を我々に贈呈してくれたりした。 しばらく前から彼は体調を崩したとかでクラス会にも出て来なくなったので何回かクラスとしてお見舞いもしたが、その内にまた元気になってクラス会にも出席してくれるだろうと期待していた。 折りしも先月16日、大学の同期生会が開かれていた席上に、堀野君が今朝息を引き取ったとの知らせが届いた。我々同期会の最中に訃報がもたらされたことに一同少なからず驚いたが、改めて一同同君との縁の深さを感じさせられた次第であった。 先月の20日にお別れ会が開かれたので献花をして異色の光彩を放った畏友の冥福をお祈りした次第である。
by bogie21
| 2008-11-11 17:35
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